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朝比奈大人形


江戸時代の見世物興行を描いた浮世絵のことを「見世物絵」と呼びます。そうした見世物絵のなかから何点かを選んで、紹介・解説しています。

また、既整理分の川添コレクション・見世物版画目録はこちらです。

 朝比奈大人形(弘化4年)の錦絵

タイトル:浅草金龍山境内ニおいて大人形ぜんまい仕掛の図
絵師:橋本貞秀
版元:山本屋平吉
刊年:弘化4年(1847)3月頃
体裁:大錦3枚続

 幻に終わった朝比奈大人形の興行を題材とした錦絵。この巨大な見世物人形が作られたのは、弘化4年春、浅草の奥山で、3月18日からの浅草寺観世音開帳の人出を当て込んだ細工人大江宇兵衛、高橋金次郎の両名が、同所に仮小屋をしつらえて製作を進めていた。錦絵も事前に大量に作られ、市中に出回っていたようである。

 ところが、この見世物は日の目を見ぬうちに、寺社奉行所から興行の差止めを命じられてしまう。その理由はいまひとつはっきりしないが、結局、その巨大さが問題にされ、天保末に出されていた大造り見世物の禁令にふれたようだ。

 一方、巷にはこの差止めをめぐって一つの噂が流れた。それは、この開帳が原因で登城の道筋を変更せざるを得なくなった六郷兵庫頭が、腹いせにこの見世物を訴えたとするものである(『藤岡屋日記』)。その点でいうと、国芳の3枚続作品『朝比奈小人嶋遊』の図には、下部に登城姿の大名行列が描かれており、この噂との関連で考えてみる必要があることを、鈴木重三氏が大著『国芳』(平凡社、1992、第367図解説)で指摘している。

 単なるガリバー仕立てというのにとどまらぬ、複雑な背景を持った図である。


この解説は、1992年11月に名古屋で行われた『浮世絵−江戸の意匠』展のカタログに川添が執筆した内容を、補筆流用したものです。
copyright (C) 1992, 1998 by Yu Kawazoe.