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見世物絵の世界へようこそ

川添裕


この原稿は、藝術出版社から刊行の雑誌『芸術倶楽部』(vol.18、1997年1月)に、浮世絵の一ジャンルとしての「見世物絵」について簡単に紹介するという趣旨で執筆したものです。改訂を加えてinternet versionとします。以下、本文。

見世物絵とは

 浮世絵のなかに「見世物絵」と呼ばれるジャンルがある。それは江戸時代におこなわれた見世物の興行を描いた浮世絵のことで、描かれた見世物の種類は、1 軽業や足芸などの曲芸、2籠細工や貝細工などの細工見世物、3ゾウやトラやラクダなどの動物見世物に大別される。ここでは、これらを順を追って簡単に紹介しよう。

曲芸

   一般には余り知られていないことだが、江戸時代の日本の曲芸のレベルはきわめて高いものであった。たとえば、幕末期に活躍した人気軽業師・早竹虎吉(図1、図2)などは、アメリカに渡って各地で興行し大いに話題を呼んでいる。幕末期にはこの早竹虎吉をはじめ、足芸の浪花亀吉、曲独楽の竹沢藤次、曲馬の樋口弥多丸など優れた芸人が多くあらわれている。

 
図1、図2

 かれらを描いた浮世絵の図柄を見ていると、その曲芸の演題あるいは趣向として、伝説や伝承のかたちで誰もが身近に知っている物語や人物が置かれ、下敷きにされていたことがわかる。歌舞伎の演目と共通するものも多く、こうした既成の芸能的趣向も含め、これらを近世の都市庶民が持つ〈民俗的文脈〉と呼ぶことができるが、曲芸の興行は、つねにこの文脈と豊かな関係を取り結びながらおこなわれていた。軽業の身体運動はそれだけで人をはっとさせる力を持つ。しかし、観客にとっての魅力は、その運動がどのような文脈に置かれるかという、両者が交差する地点にあったことが伝わってくる。

細工見世物

   細工見世物というものは、曲芸や動物の見世物にくらべるとどこか印象が地味で、面白味も理解されにくいために過小評価される傾向があるが、幕末期の興行件数でいえば、圧倒的に第一の地位をしめるのは細工見世物で、ことに文政期には一大ブームの状況を呈した。そのきっかけを作ったのが一田庄七郎の籠細工である(図3)。


図3

 籠職を本業とする一田の見世物界へのデビューは、文政二年(一八一九)二月のことで、まず、大坂・四天王寺の西門に巨大な釈迦涅槃像の籠細工をつくって大当りをとった。そして四月に入ると太融寺の東門前へと転じ、さきの釈尊の目をさまさせて立像として、「天竺僧寝覚姿」と名づけた洒落気たっぷりの興行で再び大入りとなる。この成功がきっかけとなって、さまざまな造り物を「見世物化」することが三都で大流行するのである。

 籠、貝、瀬戸物、麦藁、糸瓜、昆布、箒、桶など、日常のごくありふれた素材で、巨大な伝説人物や神仏などを作った細工見世物は、素材と、素材の集合が表現するものとの落差を楽しむ見世物であったが、こうした見世物の原点は、少し前の時代の「とんだ霊宝」(生臭い乾物で仏さまの像を作った)や「おどけ開帳」にあり、そこには〈見立て・もどき・洒落〉などといった、近世の戯作や戯画の核心と響き合う、茶気あふれる創造の精神が躍動している。

動物の見世物

 動物を見ることは今日のパンダに至るまで、人間と動物の眼を通しての交歓とでも呼べそうな不思議な喜びを与えてくれる。江戸時代にはゾウ、ヒクイドリ、ラクダ、ロバ、ヒョウ、トラなどが渡来し、ほとんどの場合に見世物興行にかけられて庶民の人気を博した。

   注目しておきたいことは、こうした見世物の動物を見る喜びが、一種、開帳のありがたい神仏を拝むのに似た「ご利益」つきの眼の喜びであった点である。それはまさに〈眼福〉といってよいものだが、動物見世物を描いた浮世絵を見ていて気づくことは、そこに記される文言が、一様に珍しい動物を見ることで得られる「ご利益」(悪病を払う、疱瘡除けになる、招福財宝、等々)を謳っている点である。たとえば、「大象」を描いた図には(図4)、このゾウを見ると「七難を即滅し七福を生ず」と記されている。このように「見る」ことや「見られる」ことが、悪病の魔を払い、福を招くという民俗的な信仰は、歌舞伎の「にらむ」芸にも通じるものであり、江戸のひとびとの民俗や心性をさぐる重要な手がかりが示されている。


図4

 見世物絵などというと、単なるゲテモノ趣味のように誤解されることも多いのだが、じつはなかなか奥が深く、江戸文化の核心へと近づく幾つもの通路が用意されている。少しでもその世界にお近づきいただければ幸いである。

 

  


図1、図2 早竹虎吉の軽業
安政四年(一八五七)一月より西両国で興行
歌川芳晴画、大判錦絵一枚、辻岡屋文助板
図1は、歌舞伎や能などでもおなじみの『石橋』の芸。仰向けになり、足で石橋をささえているのが虎吉。
図2は、菅原道真(天神様)のふたつの伝説を下敷きにした曲芸。怨みを抱いて死んだ道真の亡霊が、雷となり猛威をふるったという御霊伝説と、有名な「東風吹かばにほひおこせよ梅の花……」の梅が、都から筑紫に飛び来たったという飛梅伝説の二つを、連続した曲芸として形象化している。

図3 一田庄七郎の籠細工
文政二年(一八一九)七月より浅草奥山で興行
初代歌川国貞画、大判錦絵一枚、山本屋平吉・中川芳山堂合板
この興行の目玉となった、籠目も鮮やかな関羽の座像(手前は侍者の周蒼)。関羽はいうまでもなく小説『三国志』中の英雄で、軍神・財神として崇拝され、江戸時代文芸のさまざまな局面でポピュラーな存在であった。

図4 大象
文久三年(一八六三)三月より西両国で興行
歌川芳豊画、大判錦絵一枚、藤岡屋慶次郎板
このゾウは雌のインドゾウで、非常にヒットした興行となった。錦絵には仮名垣魯文による記文があり、「此霊獣を見る者ハ七難を即滅し七福を生ず」と記されている。

 


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