川添 裕
Yu Kawazoe
Waves on the Net 9
バザールの思想
インターネット隆盛のなかで,LinuxやFreeBSDといった「フリー」なPC UNIXがユーザーの裾野を拡げている.UNIXはインターネット発展の中心を担ってきたOS(オペレイティング・システム)であり,PC UNIXとは,通常のPCに搭載できるUNIX風のOSのことだが,LinuxとFreeBSDはその代表格で,何といっても「フリー」な点にその特色がある.
オープンソース、無償提供
いま便宜的に「フリー」といったが,より正確には,これらは商用ソフトとして有償で提供されるものと異なり,有志の手で開発され,基本的には無償で,ソースコードを公開する形で提供されるものである.
そんなタダで提供されるものが信用できるのか,第一メーカーの保証もないじゃないか,と知らない人は考えがちだが,ところが現実に,堅牢で信頼性が高いのがLinuxやFreeBSDの凄いところで,特にインターネットのサーバ用途では,有名企業サイトを含めかなり頻繁に用いられている.相当多数のプロセスが同時に動いてもダウンすることは少ないし,オープンソースだから基本的にブラックボックス化することがなく,それが気にいって愛用する個人ユーザも多い.しかし,一種,ボランティアのような形で作られるソフトが,なぜそれほど優れているのだろうか.
カテドラルとバザール
そこでいま注目されるのが,それはむしろ「フリー」だからこそ良質なのだ,ハッカーやユーザーがよってたかって作りあげる喧噪な「バザール」(大道市場)型の開発こそ,ソフト作りのより優れた道なのだという考え方である.このことを主張するエリック・レイモンド(Eric Steven Raymond)のエッセイ「カテドラルとバザール」は,このサイトで読むことができる.
プログラマーでLinux派のレイモンドが,ここで「カテドラル」(大聖堂)の比喩をもって対置させるのは,特権的プログラマーが閉ざされた場でコードを積みあげ,自己検証を繰り返して「完成」させ,あくまでソースは公開しないという多くの商用ソフトの開発方式で,それに対する「バザール」型の優位を具体的に説いている.
いうまでもなく,イニシャルな発想は個人のものでしかない.しかし,土台さえできたらそれを開放し,デバッグ,修正や方針の変更,使い勝手の改良なども含め,多くの目を得れば得るほど,「使える」いいソフトはできやすいというのである.初めは彼自身,そんなアナーキーな状態で機能するのか危惧を抱いていたが,ちょうど取り組んでいたFetchmailというソフトでこれを実践し,その経験から,今日のインターネットを前提とする「ある良質なコミュニティ」なら,むしろ理想的な形であることを確信するに至ったというのである.
エッセイのエピローグ(1998年2月10日追補)では,Netscapeがソースコードを公開し「バザール」側に一歩踏み出したことが紹介されるが,Netscapeの事情が実際にはきわめて複雑であるように,すべての問題を「カテドラル」と「バザール」に回収することはできないし,開発の個別性も考慮しなければならない.しかし,著名な商用ソフトに,使う側の便利を考えたとは到底思えぬものや,実にお粗末な不具合,誰も使わないピントはずれな思い込みの「新機能」が多い現実を考える時,ユーザーが使いたいものを自由に使うという単純な原理の実現のためには,オープンソースと「バザール」型は,確かに一つの道を指し示していると思えるのである.
最終更新=Sun, 19-July-1998、初稿=Fri, 19-June-1998
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