川添 裕
Yu Kawazoe
Waves on the Net 10
明日のウェブに
活版印刷から始まってウェブ出版まで,執筆・編集・出版に関わりつづけてちょうど20年が過ぎた.物が作られる仕組みを把握しないと気がすまない質なので,かつては,活字組版の「インテル」(詰め物)による微妙な字間調整や木版作字に限りない興味を覚えたし,ウェブでは,40の手習いですっかりネットワーク屋になってしまった.しかし,所詮は技術開発者ではないので,あるレベル以上の技術に立ち入ることは難しい.したがって,基本的には「良きユーザー」「うるさいユーザー」でありたいと思う.そんな立場の,出版に関わりつづける人間として,現在のウェブ関連技術への二つの期待を記してみたい.
ハイパーリンク
1995年初めにウェブページに接し出した頃,いま思えばかなり単純に,リンク機能に感動した覚えがある.そうか,こうやって世界中の知識へ飛んでゆけるんだ! しかし,少し経って気がついたことは,これは実際には,あらかじめ決められた点と点を結ぶものに過ぎないということであった.あくまでも,誰かがページに書いた既定のリンクにそって,特定方向にしか動けないのであって,そこに自由はない.
例えば,われわれが本を読んでいる時,文章または語句に刺激されて,いろいろな連想をする.人間の頭脳は,間違いなくそうした働きを持っている.紙の本そのものに,各人各様の連想にそったハイパーテキスト構造を実現するのは不可能で,せいぜいアーシュラ・K・ルグインの『オールウェイズ・カミングホーム』のようなスタティックなハイパーテキスト小説が,創作の限界だろう.しかし将来のウェブ(またはそれに代わるもの)では,ページに現われるすべての語,アイコンはもちろん,そこから喚起される概念,イメージにもそって,もっと自由かつ多方向にリンクができないものかと考えるのである.
そもそもそれが,ハイパーリンクというものではないか? 以前ふれたXML文書のリンク機能であるXLink/XPointerは,この方向への一歩前進だが,ユーザーとしての勝手本位でいえば,まだまだなのである.
インテリジェントなシステム
この話に深く絡むのは,結局,インテリジェントなシステムの問題で,これはデータベース技術や検索技術の問題でもある.随意・多方向の膨大なリンクだけが成立しても,それが各ユーザーの意図にそってナビゲートされ,時には,考えを先取りするようなエージェント的働きをしなければ,混乱が起こるだけである.gooの全文検索で数万件がヒットして,途方に暮れる状態を思いおこして欲しい.
筆者自身も末端で関わった「次世代電子図書館システム研究開発事業」(通産省・日本情報処理開発協会)でも,こうした検索系研究開発やエージェント系研究開発は技術面での柱になっていて,一定の成果をあげつつあるが,膨大なシソーラス(類語辞書)の作成,文脈頻度の集計,語・概念のグループ化といったベースははっきりしていても,先の見通しはまだ不透明である.
しかし,こうした知的な一種のミドルウェアがない限り,本当にユーザーの要求に応え,自由な発想を支えてくれる検索もハイパーリンクもあり得ない.書物はもちろん,最近のCD-ROMにしても,索引の作りはアナクロで保守的・固定的なものでしかない.
だが,人間の脳は,生まれながらそれを越える権利を持っている.ウェブの未来形では,技術は頭脳に応えて欲しいというのが,むしろ「活字人間」ならではのこのメディアへの逆説的な要望なのである.
最終更新=Wed, 22-July-1998、初稿=Fri, 17-July-1998
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