江戸の見世物(第146回江戸東京フォーラム発表レジュメ・一部抜粋、2001年2月27日)
川添裕
こうしたメモ書きの記述だけでも、近世後期の流行見世物の規模と隆盛の感触は、つかんでいただけるのではないかと思います。下記では資料の典拠を示していませんが、相互参照を考えて、多くは拙著『江戸の見世物』(岩波新書、2000)に掲載のものから拾ったので、興味のある方はそちらも参照してください。
見世物小屋の大きさ(敷地面積)
文政2年(1819)浅草・籠細工(一田庄七郎) 18間×7間(32.7m×12.7m)
弘化2年(1845)浅草・菊細工 間口7間×奥行7間(12.7m×12.7m) *地代50日で13貫文
弘化4年(1847)浅草・朝比奈大人形(差し止め) 間口40間×奥行11間(72.7m×20m) *地代50日で50貫文
安政3年(1856)浅草・生人形(松本喜三郎) 間口13間×奥行14間(23.6m×25.4m)
*現代のいわゆる見世物小屋は7間×5間程度。歌舞伎座の舞台間口15間、南座10間。江戸三座小屋の建物は12間×20間強ぐらい。
見世物の興行期間(日数)
文政2年(1819)四天王寺・籠細工(一田庄七郎) 70日ほど
文政2年(1819)太融寺・籠細工(一田庄七郎) 30日ほど
文政2年(1819)浅草・籠細工(一田庄七郎) 50日+日延べ50日=100日 *浅草寺は50日がひとつの定型
文政7年(1824)両国・ラクダ 半年前後 *10年以上各地を巡業
安政2年(1855)浅草・生人形(松本喜三郎) 100日強
安政3年(1856)浅草・生人形(松本喜三郎) 150日ほど
安政4年(1857)両国・軽業(早竹虎吉) 50日弱
文久3年(1863)両国・ゾウ 30日以上 *10年以上各地を巡業
*現代のいわゆる見世物小屋は2〜5日の興行。
見世物の入場料( 札銭)
安永6年(1777)両国・とんだ霊宝 8文
文政2年(1819)四天王寺・籠細工(一田庄七郎) 18文
文政2年(1819)浅草・籠細工(一田庄七郎) 32文
文政6年(1823)難波新地・ラクダ 24文
文政7年(1824)両国・ラクダ 32文
*文政前期で安酒1合が8文〜12文、上出来の銘酒20文以上、プレミアム銘柄30文以上。歌舞伎は最低でも162文。
安政3年(1856)浅草・生人形(松本喜三郎) 32文+中銭16文+中銭16文=64文
[同上途中より 32文+桟敷舗物代32文宛(中銭なし)=96文]
安政4年(1857)両国・軽業(早竹虎吉) 32文+中銭24文=56文
慶応2年(1866)難波新地・ゾウ 72文+くり上16文=88文
慶応3年(1867)難波新地・ラクダ 72文+中銭24文+くり上12文=108文
明治3年(1870)難波新地・ゾウ 100文
明治12年(1879)千日前・生人形(松本喜三郎) 2銭+繰揚げ1銭=3銭
見世物興行の上がり、入り(金高、人数)
文政2年(1819)四天王寺・籠細工(一田庄七郎) 日に銭百五十貫文/18文=8000人余
*「大坂にても評判つよく二千両余ももふけたり」
文政2年(1819)浅草・籠細工(一田庄七郎) 日に銭二百貫(29両弱)/32文=6000人余
(100日推計で2200〜2500両、45〜50万人強)
*この頃の浅草寺の年間賽銭高2250両。江戸の町方人口55万人前後、武家・寺社・近隣・滞在者を加え120〜130万人。同時期の歌舞伎当たり興行の利益金600両余。年間上がり高、河原崎座2200両、中村座・市村座5600両という記録あり。
文政7年(1824)両国・ラクダ 日に5000人を突破する日もでる(興行期間は半年)
安政3年(1856)浅草・生人形(松本喜三郎) 初日100両、しばらくは70両平均(興行期間は150日)
慶応2年(1866)難波新地・ゾウ 日に弐百貫ばかり/88文=2千数百人
明治12年(1879)千日前・生人形(松本喜三郎) 約3カ月分で「六十万千十余人」(大阪新聞)
近世後期の流行見世物のイメージ
・当時にあって豪華で規模の大きい代表的な庶民娯楽
・30日(50日)から半年ほどのロングラン興行
・流行すると日に5000人以上、累計で十数万人から数十万人が入り、上がりは千両、二千両にもなる
・グロ系見世物もずっと存在するが中心的存在ではない
・黄表紙などの文芸趣向では昔からグロ好み
・流行見世物に関わるもの
引札 絵本番付 浮世絵
団扇絵 双六 書物
春画 大小暦
玩具 人形 その他関連グッズ
歌舞伎での当て込み 噺への当て込み
大正末・昭和から現代までのいわゆる「見世物」のイメージ
・いかがわしい、あやしい、おどろおどろしい、あの独特の雰囲気
・片隅で小規模にやっている前代の遺物
・子供だまし、イタチ(板血)のようなインチキ、木戸の口上でコマス
・近現代にグロ系、ゲテモノ系が「見世物」の名で残ったのは事実
・昔からずっとそうだったという神話
「お代は見てのお帰り」神話(完全に神話。料金のあと取りは近現代の習慣で、「あとでいい」というのは近代的な発想)
「親の因果が子に報い」半神話(いくぶん神話。近世にないわけではないが、興行現場の主流ではない)